大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和38年(行)17号 判決 1966年12月23日

原告 松本信明

被告 神戸東労働基準監督署長

訴訟代理人 氏原瑞穂 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が原告に対し、昭和三五年一〇月四日付をもつてなした労働者災害補償保険法による休業補償費の不支給処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として

一、原告は昭和二五年一一月以降神戸市水道局に勤務し、水道配水管建設工事に従事していたところ、昭和三五年三月一一日、神戸市東灘区本山町野寄口の送水管布設工事現場において、直径七〇〇耗の鉄管を運搬中、原告の左指部を右鉄管の下に押挾まれ、左小指開放性骨折、左環指圧挫創の傷害を負つた。

原告は同日医師岩木五郎の治療を受けたが、右治療中急に心臓の異常を来たし、胸内苦悶が甚しくなつた。

二、右心臓の苦悶が激しいので、原告は同月二〇日、医師重久昌一の診療を受けたところ、心臓神経症であることが判明し、就労不可能の状態となり、約三ケ月間入院加療した。

三、原告は被告に対し、労働者災害補償保険法にもとづき、昭和三五年七月二九日、右休業期間中の休業補償費の支給を請求したところ、同年一〇月四日、被告は、右心臓神経症をもつて、同法一二条二項に規定する業務上の疾症でないとし、右休業補償費不支給の処分をした。

四、原告は、被告の右処分を不服とし、兵庫労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが棄却され、更に昭和三六年四月一五日、労働保険審査会に再審査を請求したが、昭和三八年四月一七日棄却の裁決がなされた。

五、然しながら、原告の右心臓神経症は、前記負傷により惹起したものであるから、これによる休業は業務上の疾病によるものである。

被告のなした右休業補償費不支給の処分は、事実の認定を誤まつた違法なものである。

六、よつて原告は、被告に対し、右休業補償費不支給の処分の取消を求めるため本訴に及んだ

と述べ

被告の主張事実を否認し

昭和三四年五月頃、原告が罹患した心臓神経症様の症状は、本件心臓神経症とその内容、程度、病相を異にし、全く異質のものである。しかも右症状は、同年一二月には全く根治しており、その再発などということは全くありえない。

仮に原告において心臓神経症様の素因があるとしても、本件手指の負傷が共働原因となつて、本件心臓神経症が発病したものというべきであるから、この点からも本件心臓神経症は、業務上の疾病として取扱わるべきである。

と述べた。

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として

原告主張の請求原因につき、第一項中、原告が神戸市水道局に配管工として勤務し、昭和三五年三月一一日、工事現場において原告主張のとおり負傷をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。第二項中、原告が訴外重久昌一医師に診察を求め「心臓神経症」との診断を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。第三、四項は認めるが、第五項は否認する

と述べ

主張として

一、原告は昭和三四年五月頃にも心臓神経症様の自覚的愁訴を起しており、該症状に対し、個人的な素因を有している。

二、原告は昭和三五年三月一一日前記のように負傷し、その後同月一九日までの九日間通院加療しながら、従前の仕事に従事していた。この間、原告は、治療医岩木五郎に対し、本件心臓神経症症状につき、何等の訴もなく、右負傷も経過良好のまま、右一九日に抜糸し、放置しても自然に治癒しうる状態であつた(左小指は昭和三五年四月一一日に、左環指は、同年六月七日にそれぞれ治癒している)。

凡そ業務上の負傷に基因する疾病とは、業務が負傷の原因であり、かつ、その負傷の結果として疾病が発生したものであること、即ち業務・負傷・疾病との間に相当因果関係が認められなければならず、しかもそれは条件的な因果関係では足りず、右両者の間に災害医学的見解において、普通可能とせられる関係、即ち相当の関係がありとせられる場合を指すものであると解すべきものである。

これを本件について考えると、災害医学的所見においては、その因果関係につき存否いずれとも断定しえず、心臓神経症という症状自体、未だ医学界における定説をみず、従つてその内部的、外部的基因についても、これを明確にしえない現状にある。

従つて本件心臓神経症は、本件負傷と因果関係を有しないものであるから、被告の前記休業補償費不支給処分は適法である

と述べた。

(証拠省略)

理由

一、原告が神戸市水道局に配管工として勤務していたところ、昭和三五年三月一一日、原告主張のとおり負傷したこと、原告が訴外重久昌一医師によつて「心臓神経症」との診断を受けたこと、原告が本件心臓神経症により休業した期間の休業補償費の支給を被告に請求したところ、原告主張のとおり被告は不支給の処分をしたことおよびこれにつき原告は原告主張のとおりの審査請求および再審査請求をなしたが、いずれも棄却されたことについては、当事者間に争いはない。

二、ところで原告の本件負傷が原告の本件心臓神経症の一原因であるかにつき、当事者間に争いがあるので、この点につき検討する。

労働者災害補償保険法一二条二項に規定する労働者の負傷ないし疾病は、同法の趣旨および労働基準法七五条の法意に照らすと、業務上の負傷が受傷者の既存疾病を刺戟し、よつてその発病をもたらした場合においては、その既存疾病が特異なものであつたり、他に業務外の事情の競合があつても、業務上の負傷が既存疾病の発病の一原因となつており、且つその間に医学上相当程度の因果関係が認められる限り、それが唯一又は最有力の原因であるを要せず、右既存疾病の発病をも、業務上の疾病というべきである。

ところで成立に争いのない乙第六号証、証人藤原順、同中山英男、同入江一彦の各証言を総合すると、心臓神経症の原因は、医学的に必ずしも解明されているものではないが、家庭ないし職場における対人関係、欲求不満或は事故などによる精神的シヨツクに基くものであること、即ち不安感や恐怖感が原因の要素となりこのような要因が鬱積して、総合的に発症するものであること、低血圧症や貧血、内臓の下垂の体質を有する者、神経質者、神経衰弱症状にある者、ヒステリー性の素因を持つ者に特に発症するものであること、成立に争いのない甲第一、第二、第五号証、証人岩本五郎の証言および原告本人尋問の結果を総合すると、原告は本件負傷後直ちに岩木病院で治療を受け、左小指については、末節骨開放性骨折(骨露出)のため、その第二関節から離断し、その断端を縫合し、左環指については、三ケ所程の縫合をなす手術を施したこと、原告は来院時、非常なシヨツク症状であつたことおよび治療行為を非常に恐怖していたこと、以前に心臓神経症の発症がある場合負傷などで再度同症状が誘発されうる可能性の考えられることが認められる。

しかし原告本人尋問の結果によると、原告は本件負傷後も引続き仕事に従事し、通院加療をなしていたこと、治療第九日目に本件心臓神経症の発症があつたこと、原告はこれより先の昭和三四年においても心臓神経症様の症状で治療を受けていることが認められ、従つて原告の身体的社会的環境において、本件負傷の外に右発症の原因が存在する可能性があること、成立に争いのない乙第三、第四号証、証人藤原順、同中山英男の各証言によれば、本件負傷が、本件心臓神経症発症の原因であるならば、負傷直後に発症することが予想され、仮に負傷直後に発症していたとしても、本件負傷がその原因となりうる確率は本件負傷の部位、強度などを参酌すると極めて低いことが認められ、これらの事情を併せ考えると、本件負傷と本件心臓神経症発症との間に医学上因果関係があるものと認めることができない。右認定に反する甲第一号証の記載は、右各証拠に照すと本件傷害と心臓神経症の因果関係を全く否定することはできないとの意味に解するのが相当であり、従つて因果関係の存在を積極的に認定する証拠とはなし得ず、他に右主張を確証する証拠はない。

そうすると、原告の被告に対する本件休業補償費請求につきなした被告の不支給の処分は、適法というべきである。

三、よつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上喜夫 宮地英雄 小林茂雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例